わたしの相棒、ドラシエルF

 ある日の夕方、寒空の下わたしは自転車を必死に漕いでいた。行き先は町の玩具店だ。

 

 当時小学生のわたしにとって、決して近場ではないその道のりを、興奮冷めやらぬ思いで急いでいた目的があった。

 

 ベイブレードだ。

 

 90年代後半から00年代初頭にかけて、わたしが当時ハマっていたのはビーダマンなどの別のホビーだった。コロコロコミック読者だったわたしは、ベイブレードはホビーの初報も、漫画の新連載もリアルタイムで見ていたが、お小遣い事情が厳しかったことや、既にハマっていた別のホビーを優先していたこともあり、実物を買う機会は少し遅れた。

 

 ベイブレードを買おうと決心したきっかけは、小学校の友達の間で本格的にベイブレードブームが来たことである。友達グループが皆ベイブレードを持ち始めたのは、2001年の秋の頃であった。

 

 ある日の放課後、学校から帰宅したわたしは、意を決して母親にベイブレードを買いたいとねだった。「欲しいものは都度申告し、許可されたらその分の額を支給してもらえる」というのが我が家のお小遣い制だ。定期定額の支給はなく、資金のプールは出来ない。月に一度のコロコロや、既にハマっていた他のホビーのためのお小遣いを不定期にもらえることはできていたが、許可が降りないことの方が多い。無闇矢鱈にねだっても買ってもらえるわけじゃない。当時の経験上「親からみて、新しいジャンルの玩具はねだりにくい」という認識があった。

 

 ところが、その日はなぜかすんなりと許可が降りた。ベイブレードをひとつ買える分だけのお小遣いをもらったわたしは、嬉しさのあまり家から弾き出されたように飛び出し、自転車で玩具店に急いだ。買えるならはやく欲しい。きょう欲しい。いますぐ欲しい。買ったら、あした小学校でその話をしたい。学校が終わったら対戦したい。

 

 わたしは当時、西日本の小さな町の外れの山あいに住んでいて、家から玩具店まではそこそこの距離があったが、その日のペダルはとても軽かった。夕闇の中自転車を走らせると、冷たい風が顔に当たり、耳は冷え、鼻は垂れ、凍えそうになるが、心は熱を帯びていた。

 

 長い道のりを経てとうとう玩具店に到着し、お目当てのベイブレードコーナーにたどり着いた。欲しかったのは主人公の使うドラグーン…だったが、それは売り切れだった。陳列されていたのは「ドラシエルF(フォートレス)」。

 

 爆転時代のベイブレードには聖獣という生き物が宿っている設定がある。主人公チームが持つベイブレードには、それぞれ四神の青龍・朱雀・白虎・玄武が割り当てられている。ドラシエルは玄武。つまり亀だ。それに比べると龍・鳥・虎の方がわかりやすいカッコよさがある。

 

 その時は「ドラシエルか~…」と目当てではなかったためやや落胆したものの、ドラシエルFは当時だと比較的新商品だった。それはそれで魅力的。スターターなのでシューターもついている。他の店に行く当てもない。少し悩んだ末にこれを買うことにした。

 

 翌日以降、わたしは満を持して友達とベイバトルをすることが出来た。なかなかどうして、戦績はそれなりに良かった。友達は攻撃型のベイブレードでスタジアムを派手に暴れまわるが、暴れすぎてスタジアムから飛び出し自爆するか、スタミナが切れて先に回転力を失ってしまう。対してドラシエルFは動きこそ地味だが、しっかりと中央に陣取り、メタルボール軸で最後まで安定して回転した。フォートレスの名に恥じぬ、要塞のような安定感だった。

 

 買ったときは目当てではなかったものの、この安定感、扱いやすさによりドラシエルFはわたしの相棒になった。その後、ベイブレードを買い増していったが、ドラシエルFはベイバトルでの使用候補には必ず入るベイブレードだった。ウェイトディスクをエイトバランスからワイドディフェンスに替えた程度で、他のパーツはいじらずにそのまま使えばそこそこの勝率を保っていた。

 

 ドラシエルを愛用した理由はもうひとつあった。その時の友達が偶然にも主人公チームのベイブレード、ドラグーン・ドランザー・ドライガーの愛用者が揃っていたのである。わたしがドラシエル愛用者であることは、四神が揃うことになるため、とても「収まりが良かった」。

 

 ベイブレードは、その時流行りだった他の玩具や、カードゲーム、ビデオゲームといったものに比べ、多人数で同時にワイワイ遊ぶのに向いていた。簡単に乱戦が出来る。パーツに詳しくなくてもバトルが出来る。ルールや勝敗がわかりやすい。戦略を組むことも出来ればラッキーパンチもある。30秒から1分程度で決着がつき、直ちに次のバトルが出来る。戦うベイをすぐに入れ替えることが出来る。そして回転方向、軸心の形状、重さ、磁石、ゼンマイの軸といった多種多様なパーツ…。小学生のお小遣いの範疇で買い集めたベイブレードを、思い思いの「最強」に仕上げていく。それは自分のベイだけではなく、相手のベイのカスタマイズについても、関心や発見があった。

 

 片田舎に住んでいたこともあり、距離の問題で残念ながら公式大会に出たことはなかった。それもあるのか、現代になって当時の爆転世代ベイブレードの強さの話をインターネットで見聞きすると、私の見解・遊んだ環境とは異なるものや知らなかったことがぽろぽろ出てくる。そのギャップもまた楽しい。

 

 わたしの周りのベイブレードブームは、小学校6年生の下期あたりで終息していった。わたしも、終息に伴い対戦相手が減っていったことで興味が薄れていった。中学校入学を控え、同級生はベイブレードに限らず、ホビー全般から卒業する雰囲気に変わっていった。わたしはそれに物悲しさを感じつつも、次第に受け入れていった。

 

 

 

 

 あれから20年近く経過した。私はもう30代になる。いい年こいたおじさんだ。引っ越しも何度もした。それでも、ドラシエルFは手元にまだ置いてある。

 

 度重なるベイバトルで、通常シールから貼り替えた雑誌付録の特製ドレスアップステッカーははじけ飛び、ベイ全体にキズや欠けがある。

 

 そんなボロボロの小さなコマを見るたびに、私はあの楽しかった日々を思い出すのだ。

 

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